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手紙を書くことは文化

 一昨日「文化としての手紙を残すこと」を目的とした事業を行った。
 小学生の2年生から5年生までの低学年のこどもたちが参加してくれた。
 手紙の文化は平安時代中期の源氏物語にもやりとりが頻繁にあらわされているが、その後日本に1000年以上も継承されてきた「文化」である。その文化がこの10年、つまり西暦2000年になったころから急に、携帯電話のメールに取って代わられた感がある。

 先日団塊の世代の人と話していたら、テレビが出始めの昭和30年代、学校の先生が小学生だった彼に「テレビとラジオと新聞の3つのうち、何が最初になくなっていくか?」と質問したそうだ。
 幼かった彼はラジオかなと思ったそうだが、妙にこの質問を鮮明に覚えているそうだ。
 
 ひとつの文明が栄え、終末をむかえる時代の変遷期に今「手紙を書く」という行為があげられるのではないか、そんな気がする。

 ほかに時代のの変遷期の中にいるものはと考えた。敢えて列記する。「日舞」「新聞」「演歌」「着物」「茶道」「華道」
 これらの文化を残そうという活動も強い意志で起こってくるだろうし、おいそれとはなくなりはしないが確実に「大衆的」でなくなっていくことは明白ではないか、と連想ゲームのように考えた。

 「手紙を書く」この事業に、ちいさい人たちが参加してくれたことで、いつか青年になったとき何割かが手紙の文化を残してくれるだろう・・・と思うのだ。

廿日市市のHPに「緑資源幹線事業」の記事が復活した

 7月19日(土)に廿日市市のHPをチェックしていたら、「緑資源幹線事業」の記事が復活した。
 7月12日に「廿日市市のHPから「緑資源幹線事業」が消えた。なんとふしぎなことがあるものだ。「緑資源幹線林道事業」という項目はあるのだが、クリックするとファイルが見つかりません」とでる。いつの間にか削除している。こういうことをしていいのだろうか。クリックしなければ、載せていると市民は思ってしまう。」と書いて7日目には復活している。おかしなことがあるものだ。

 さて、ちょうどいいから、細見谷渓畔林幹線道路のことを書きたい。
 この事業当初「大規模林道」と言う名称を使っていた。
 昨年、真野助役(現在真野市長)は、大規模林道ではなく小規模 な林道だと言っていた。内容が変わっていないのに名称を変更して、どういう意味があったのだろうか。

 さてこの林道を作って欲しいと言って要望書を提出したのは昭和51年。32年前の要望である。その後、吉和村の林業の様子もずいぶん変わった。ニュージーランドで自社林を持つ企業も現れ、順調に会社も大きくなったことは、喜ばしいことだ。大変な企業努力があったことと推察する。

 しかし、細見谷渓畔林幹線道路については、つい最近になってもこの要望に沿って公共工事が進められたことは、さまざまな事例から疑問がのこる。

 財政状況についても、合併後の廿日市市自身が財政調整基金が底をつき、2年後には予算が組めなくなることが予想される。このような状況では、計画の見直しが必要であることは誰の目にもあきらかだ。
 
 わたしは無駄な公共工事のひとつとして、細見谷渓畔林幹線道路をとらえていた。
 
 細見谷に大規模林道は要らないという細見谷渓畔林幹線道路反対のグループのHPがあるので、それと読み比べてはいかがだろうか?専門的であり、吉和村が、廿日市市と合併前から廃止活動に取り組んでいるので、さすがに地域事情にも詳しく、又専門的な情報が載っている。
http://hosomidani.no-blog.jp/jumintohyo/2008/06/index.html

 平成18年8月、直接請求による細見谷渓畔林幹線道路工事の是非を問う住民投票条例案が提出された。
 案は7対24の反対多数で否決された。あれから2年。工事の主体だった緑資源機構は数々の不正行為が発覚し解体され、今その工事主体者は県となった。しかしさまざまな理由で、いったん中断されている。
 たゆまぬ住民運動の成果がみのり、ストップ!細見谷渓畔林幹線道路・・・になるよう、見続けたい。

 思い出したが、あの住民投票条例は、7対24の反対多数で否決されたが、住民投票条例を請求する、署名受任者(署名を集める人)に坂しろう議員がみずから共産党の議員に申し出て、署名を集めたと聞いた。
 しかし、本会議では住民投票条例の制定には反対したことが印象に残っている。
 署名をしてくれた市民には、考えが変わり、議場ではまるっきり反対の意思表示をしたことを説明したのだろうか。

ウエルカム・副市長! 何かあったらゆうてください!!

7月17日、広島市に初の女性副市長が誕生したのを祝ってウエルカム・パーティを開催した。

 豊田麻子副市長(とよだあさこ)、42歳。広島市では 初の副市長である。

 豊田氏は、情報技術分野の担当として新たに設けるCIO(最高情報責任者)も兼任する。重ねて、男女共同参画社会、平和など5つの分野も担当するということである。
 
 パートナーを東京に残しての単身赴任。引越しの作業もパートナーがほとんどやってくださったそうで、スピーチを聞きながら、本当に副市長の誕生を心から嬉しく思った。

 思えば1999年12月、わたしたち女性は、男女共同参画社会基本法を持つにいたった。それは、戦後から多くの先輩たちが営々と男女平等の活動を続けてこられた結果の、努力の賜物であると思っている。

 その2年後に広島県、広島市において男女共同参画条例の制定に、女性たちが力を結集して、わたしたちの地域に、男女がともに生き生きと暮らせる社会作りを目指そうという「根拠」を持つにいたった。

 その後、紆余曲折の時を経て、このたび若くて意欲みなぎるリーダーを迎えられ、心からウエルカム・豊田さんとお伝えしたい。

 豊田副市長、今日はせ参じた女性たちのうしろには、まだまだたくさんの女性たちがいます。

 最後に渡辺さんが言いました。
 「副市長、よろしくお願いします。そして、何かあったらゆうてください!!」

 わたしたち、うしろでしっかり応援しています!