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わたしなりの平和活動~守屋ミサさん

 本日9月17日、私が所属している「大野歴史ガイドボランティア」の会が、大野陸軍病院(広島県廿日市市宮浜温泉・当時広島県佐伯郡大野村)で当時婦長をされていた守屋ミサさんの講演会を開催しました。

 日本赤十字社が建設し陸軍病院として使っていた大野陸軍病院が、63年前の今日、枕崎台風におそわれ、原爆にあい、療養中だった被爆者と、被爆の実相を研究にきていた京都大学の教授たちが土石流に襲われ命を落としました。

 原爆でやっと助かった人がまたここで惨禍に会い、命を落とされたことは言葉では表現できないものですね。

 婦長さんは,平成20年現在87歳になられた。
 昭和20年当時、25歳で婦長でしたが、話を聴いて、若いのに判断・判断の連続だった働き振りでした。

 守屋さんは、気象情報が軍に握られていて、国民生活に生かされていなかったことから、無防備のまま大きな台風に襲われたことを、指摘されました。

 今はつくば市に住んでおられて、印象的だったのは、ご自分の出身母体の日赤に問い合わせても、昭和20年9月17日の枕崎台風で、大野陸軍病院が土石流で大惨事にあったことなど、知る職員がいないこと、日赤誌史には3名の人が大野陸軍病院の土石流で行くえ不明となっていると書かれていたが、1人は自分が看取ったので、遺体は見つかったと修正するべきだと申し入れたら、あなたのおかげで面倒だと職員に言われ、人一人のなくなったことへの対する態度はいかがなものかとおっしゃっていました。

 隣組などの組織で人々の気持ちを縛って、軍は国民が知らないうちに戦争を進めてきたが、今の状況も似ている。

 今すんでるマンションでの話だが、日赤社資募金は一律一軒300円とか500円とかと決められて回覧されている。
 こういう部分は隣組制度の名残りであり、私は反対している。
 だから、町内の代表者の方に申し入れて、マンションの共有スペースのところに募金箱を置いて、各自の判断に任せて募金していただきましょう!と提案したらそれが通った。
 日赤にも手紙を書いて、募金とはそもそも各自の判断や気持ちにまかせるものと伝えた。
 また500円を募金するとき「ただ寄付するだけか、社員になりたいか」を記載する欄があるので、私は社員になるに○をしている。そうすれば、社長になる権利も持てるし、議決権を持てる可能性も出てくるわけだから。

 国民が知らないところで物事をすすめていくことが一番いけないこと。
 
 わたしはいま、私ができる平和活動として、花の種(平和の種)をひろめることと、オカリナににた笛(平和の笛)を普及させることをやっている。動きにくくなったわたしなりの平和活動ですと結ばれました。

 歴史ガイドのみなさんも、平和を守るために事実を伝えるというところを伝えることが大事ですと言われました。

 わたしなりの平和活動。こうやって考えると、行動しやすいなあと思えました。

 今日NHKの番組でジュリーの「我が窮状」をきいて、ジュリーの平和活動にも心を打たれました。「窮状」を「9条」と読み替えてくださればいいと思います。
 「この窮状 救えるのは静かに通る言葉」・・・いい言葉ですね。
 曲も美しい曲でした。
 詩を載せておきます。

「我が窮状」 作詞:沢田 研二,作曲:大野 克夫 

麗しの国 日本に生まれ 誇りも感じているが 
忌まわしい時代に 遡るのは 賢明じゃない
英霊の涙に変えて 授かった宝だ
この窮状 救うために 声なき声よ集え
我が窮状 守りきれたら 残す未来輝くよ

麗しの国 日本の核が 歯車を狂わせたんだ
 老いたるは無力を気骨に変えて 礎石となろうぜ
諦めは取り返せない 過ちを招くだけ
この窮状 救いたいよ 声に集め歌おう
我が窮状 守れないなら 真の平和ありえない

この窮状 救えるのは静かに通る言葉
我が窮状 守りきりたい 許し合い 信じよう