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おおのハートバスは弱者救済の福祉バスとしてスタートした

 おおのハートバスのルート・ダイヤ改正に対する意見募集(2008年10月3日)があった。

 廿日市市のHPで以下のようなコメントが載っていた。

 ●おおのハートバスのルート・ダイヤ改正を進めています。
 大野地域の利用者や地域の代表、バス事業者などを構成員とした「大野地域交通協議会」で検討をしていますが、ホームページでも改正案を提示して、ご意見を伺う機会を設けました。
 改正案は、平日ルート、平日ダイヤ、休日ルートです。
 休日ダイヤは、大幅な改正ではないため案の提示をしていません。
 これらの提示案は、大野地域交通協議会の中でもいくつか修正意見が出ており、検討中です。改正時期は3月~4月を予定しています。

 詳しくは次のリンク先ページでご確認ください。  http://www.city.hatsukaichi.hiroshima.jp/form/bus_2008/bus_form.html

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 私は本日、次のような意見をメールで送った。

 大野地域のバスは弱者救済の福祉バスとしてスタートしています。
 弱者救済が主目的ですから、収益性について考慮はするけれども、それより優先する考え方は、車を運転できない方が通院に利用することや、生涯学習、市民同士の助け合いを推進する活動のために、いかに利便性が図られているかが大きなチェックポイントになります。
 
 ルートの改正や、時刻改正においても、その点を充分認識しつつ検討して行くことが重要です。
  
 何のために福祉バスはあるのかという、目的や理念を不断の注意で点検しておかなくてはなりません。
 
 本来、使用者の方々が中心となってルートや時刻の検討委員会で決定すべきであり、交通弱者のための施策ですから、収益性重視のためために民間バス路線が撤退していった地域を重点的に対象とするのが「大野地域のハートバス」でありがとうございました。、その理念の下に発足しました。
 
 どんな人が多く利用しているのかをきちんと把握して、「大野のハートバス」のルートや時刻を決めていくべきです。
 
 その点、市は今年度アンケート調査をされましたが、調査や結果報告を、一番意見聴取しやすく利用者も多いと推定される、老人クラブや母子寡婦会や、女性会などに聞いておられません。
 
 このあたりも、意見聴取方法に問題があると思われますし、このたびのアンケートについても、ご存知かどうか2,3人の老人クラブの皆さんにお聞きしましたが、ご存知ありませんでした。
 
 住民ニーズを把握する場合、利用者にお聞きすると言うのが鉄則です。 
 この点について組織のご協力を得て、幅広く、組織の代表ではなく会員に意見聴取されなかったことは、問題だと指摘しておきます。
 
 評価したいとこころは、随時見直しをするという姿勢は、すばらしいところです。
 
 ぜひ、見直しの時点では、直接多くの利用者にお聞きすると言うことを基本に取り入れてください。
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 おおのハートバスのルート・ダイヤ改正については、大野地域の利用者や地域の代表、バス事業者などを構成員とした「大野地域交通協議会」で検討をしているとのことだが、並行して、利用者の声を直接聞いて欲しいと意見を出した。

 また先般大野商工会が大野地域選出の議員を呼んで、懇談会を開いたが、2人の議員は、おおのハートバスの収益性が悪いので、収益性についてアップするような対処が必要だと発言していた。
 
 この点について、真っ向から反対意見を付しておきたい。

わたしなりの平和活動~守屋ミサさん

 本日9月17日、私が所属している「大野歴史ガイドボランティア」の会が、大野陸軍病院(広島県廿日市市宮浜温泉・当時広島県佐伯郡大野村)で当時婦長をされていた守屋ミサさんの講演会を開催しました。

 日本赤十字社が建設し陸軍病院として使っていた大野陸軍病院が、63年前の今日、枕崎台風におそわれ、原爆にあい、療養中だった被爆者と、被爆の実相を研究にきていた京都大学の教授たちが土石流に襲われ命を落としました。

 原爆でやっと助かった人がまたここで惨禍に会い、命を落とされたことは言葉では表現できないものですね。

 婦長さんは,平成20年現在87歳になられた。
 昭和20年当時、25歳で婦長でしたが、話を聴いて、若いのに判断・判断の連続だった働き振りでした。

 守屋さんは、気象情報が軍に握られていて、国民生活に生かされていなかったことから、無防備のまま大きな台風に襲われたことを、指摘されました。

 今はつくば市に住んでおられて、印象的だったのは、ご自分の出身母体の日赤に問い合わせても、昭和20年9月17日の枕崎台風で、大野陸軍病院が土石流で大惨事にあったことなど、知る職員がいないこと、日赤誌史には3名の人が大野陸軍病院の土石流で行くえ不明となっていると書かれていたが、1人は自分が看取ったので、遺体は見つかったと修正するべきだと申し入れたら、あなたのおかげで面倒だと職員に言われ、人一人のなくなったことへの対する態度はいかがなものかとおっしゃっていました。

 隣組などの組織で人々の気持ちを縛って、軍は国民が知らないうちに戦争を進めてきたが、今の状況も似ている。

 今すんでるマンションでの話だが、日赤社資募金は一律一軒300円とか500円とかと決められて回覧されている。
 こういう部分は隣組制度の名残りであり、私は反対している。
 だから、町内の代表者の方に申し入れて、マンションの共有スペースのところに募金箱を置いて、各自の判断に任せて募金していただきましょう!と提案したらそれが通った。
 日赤にも手紙を書いて、募金とはそもそも各自の判断や気持ちにまかせるものと伝えた。
 また500円を募金するとき「ただ寄付するだけか、社員になりたいか」を記載する欄があるので、私は社員になるに○をしている。そうすれば、社長になる権利も持てるし、議決権を持てる可能性も出てくるわけだから。

 国民が知らないところで物事をすすめていくことが一番いけないこと。
 
 わたしはいま、私ができる平和活動として、花の種(平和の種)をひろめることと、オカリナににた笛(平和の笛)を普及させることをやっている。動きにくくなったわたしなりの平和活動ですと結ばれました。

 歴史ガイドのみなさんも、平和を守るために事実を伝えるというところを伝えることが大事ですと言われました。

 わたしなりの平和活動。こうやって考えると、行動しやすいなあと思えました。

 今日NHKの番組でジュリーの「我が窮状」をきいて、ジュリーの平和活動にも心を打たれました。「窮状」を「9条」と読み替えてくださればいいと思います。
 「この窮状 救えるのは静かに通る言葉」・・・いい言葉ですね。
 曲も美しい曲でした。
 詩を載せておきます。

「我が窮状」 作詞:沢田 研二,作曲:大野 克夫 

麗しの国 日本に生まれ 誇りも感じているが 
忌まわしい時代に 遡るのは 賢明じゃない
英霊の涙に変えて 授かった宝だ
この窮状 救うために 声なき声よ集え
我が窮状 守りきれたら 残す未来輝くよ

麗しの国 日本の核が 歯車を狂わせたんだ
 老いたるは無力を気骨に変えて 礎石となろうぜ
諦めは取り返せない 過ちを招くだけ
この窮状 救いたいよ 声に集め歌おう
我が窮状 守れないなら 真の平和ありえない

この窮状 救えるのは静かに通る言葉
我が窮状 守りきりたい 許し合い 信じよう  

観光大使の鹿が宮島からいなくなった

9月9日、10日と2日続けて宮島にわたった。
宮島桟橋におりたって驚いた。
鹿が一頭もいない。
海岸通を歩く。一頭もいない。
大鳥居をバックに写真屋さんが営業しているところ・・ここには若い鹿が3頭。いつものように観光客と写真に写っている。
大願寺の境内付近、公衆トイレや川端、いつもならたむろしている鹿たちを一頭も見かけない。
大聖院付近に一頭。
翌日は目的地に着くまでに5頭、帰りは午後8時ごろになったのだが、海岸通に8頭が寄り合って休んでいた。
観光大使の鹿がいなくなり、違和感がある。

以下は、廿日市市のHPから・・・。
「宮島地域における鹿対策の経緯」
昔から宮島地域に生息する鹿は、野生動物ではありますが、保護条例などの制定により住民に大切に扱われてきた歴史があり、住民とともに暮らしてきました。

しかし、近年給餌などによる人為的関与により、市街地に定着する鹿が増加し、観光客のみならず、住民の日常生活にも大きな影響を与えるような様々な問題が生じるようになりました。

そこで、平成10年5月に旧宮島町は『宮島町鹿対策協議会』を発足させ、より良い解決策を協議してきましたが、問題の解決には至りませんでした。

廿日市市に合併後、平成19年11月には広島県により島内全域を対象にしたニホンジカの生息状況等の調査が実施されるとともに、市により住民の鹿に対する意識調査を実施し、鹿による各種問題の解決に向けた協議を行うため、学識経験者、地元関係者等を委員とし、国・県のアドバイザーにより編成した、廿日市市宮島地域シカ対策協議会を立ち上げました。

平成20年3月に第1回の協議会を、同年6月には第2回の協議会を開催しました。

今後は、この協議会において、宮島におけるニホンジカの生息状況等調査検討報告書の最終結果及び被害状況や住民の意識変化の分析を基に、『人間と鹿の共存』を目指して、宮島地域シカ保護管理対策のガイドラインを作成してまいります。
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20年3月の鹿対策協議会の議事録では今後5年間で、市街地の鹿を半減させていくと合意したと掲載されている。
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てっきりこの合意を今年9月に前倒しで実施したのかと勘違いするくらいの減りようだ。
山に逃げているのかどうかはわからないが、宮島にご縁があって35年。初めて目にする「観光大使の鹿が宮島からいなくなった」風景である。

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